スタッフ・パートナーSTAFFS PARTNERS
神林 麻美
設計アシスタント
大切なのは、どこで働くかよりも「誰と働くか」。東京から移住し、長野で出会った和やかで誠実な職場
生まれ育った東京から、2024年春に夫の実家がある長野に移住しました。「いつかは地元に帰りたい」と話していた夫と一緒に、私もよく長野に遊びに来ていたことから、すっかりこの環境が好きになったことが移住の理由です。子どもたちが今、3歳と1歳。小学校入学前には引っ越したいという思いもあり、ちょうど仕事の育休を取得していたタイミングも重なって、移住と転職の準備ができたことも後押しになりました。前職は賃貸マンションの建設会社の設計部。大学時代に都市計画と社会学など“街”を中心に建築も学び、設計事務所でお手伝いをしていたことが入社のきっかけでした。大学ではさまざまな視点を取り入れた授業が多く、ときには「自由が丘の街を個々の観点から調査する」というものも。看板や舗装路などを調査する人がいるなか、私は東京の街を散歩することもファッションも人々の暮らしを眺めることも好きだったため、女性のスカート丈をテーマに街を調べました。
そして、卒業後に入社した建設会社に9年間の在籍。さまざまな経験を積みながら、結婚、出産を経て、次第に長野への移住を考えるようになりました。
「長野に移住するなら、仕事は鉄筋コンクリート造がメインだったマンションではなく、今まで経験してこなかった木造建築に携わってみたいな」
そんな思いで、転職先として見つけたのが田中建築です。作り込んであるホームページに魅力を感じ「ここしかない」という気持ちがどんどん強くなっていきました。
「文章やデザイン性で社風がきちんと表現され、社長や社員の皆さんの考え方は読めば読むほど惹かれる内容で、なんて信頼できる雰囲気が感じられるホームページなんだろう」
こうして応募を決意。面接でも社長がしっかりと私の話を聞いてくださり、具体的な仕事内容の話もできたので、不安なく入社することができました。入社後も思い描いていた通りの社内の雰囲気で、皆さんが仲良く、気さくに話しかけてくださる方ばかり。
「どこで仕事をしていても、やはり大事なのは誰と働くか。ちゃんと連携でき、人柄の良い人が働く職場がいい」
前職も人に恵まれた環境でしたが、楽しく和やかな社風のなか、今改めてその思いを実感しています。
田中建築は今、新築の物件数を増やし、成長意欲があふれる会社だと感じています。先日は志賀高原で合宿があり、和気あいあいとした雰囲気のなか、会社がよりよくなるためにはどうしたらいいかを全員で相談しつつ、今年度の目標を決めました。前職は100人規模の企業で、会社の方針は上司が決めるのが当たり前。会議も意見を言うのは経営層や役員が中心でしたが、田中建築の会議は皆が積極的に意見を述べ、すごく新鮮でした。いろいろな人の話を聞くのも面白く、自分で決めた目標であればやる気にもつながると感じました。
また、田中建築は社長の母校だった廃校にオフィスがあることもユニークです。地域の工務店として地域貢献を考える会社の考えで入居していますが、前職の職場は東京の中心部にあったのに対し、今は山の景色や広い空など、全く違った環境が癒しになっています。実は私は父の実家が新潟県の山奥にあり、幼少期はその家に行くと「帰りたくない」と駄々をこね、田舎暮らしに憧れがありました。だからこそ、今はパソコン作業中にふと見る外の風景に心が和んでいます。
また、先日、子どもたちとドライブをしていたら「お空がきれいだね」と言われ、子どもの目に映るものの変化も感じます。マンション暮らしだった都会に比べ、子どもの足音などの騒音で近隣から注意されることもなく、広い戸建て住宅でのびのびと日々の暮らしを楽しんでいます。
今後の夢は、家族が健康で、子どもたちが何不自由なくさまざまな体験ができるよう一生懸命働くこと。昔から私は親に頼ることなく自立することを目指してきましたが、家族ができた今は、子どもたちに仕事をする意義を小さな頃から教えてあげたいと感じています。
「世の中にはいろいろな職種があり、何でもできる、何にでもなれる」
小・中学生の頃はどうしても学校中心の狭い世界で過ごす時間が長く、私にとってはそれが窮屈でした。だからこそ、子どもたちには親の働く姿を見せることで世界を広げられたら。そんな意味も含め、子どもたちの社会勉強のためにも、いつか田中建築で私が働く充実した様子を子どもたちに見せてあげることがこれからの目標です。